【クイズです!!】京都に奈良より巨大な大仏があった。○か?×か?アンラッキー大仏の数奇な運命
こんにちわ、旅行好きブロガーまいこです。
今回はいきなりですがクイズです。
京都に奈良より巨大な大仏があった。○か?×か?
その答えは、なんと○!!
その高さは、なんと19mもあったんだそう。
これは、札幌時計台の高さに相当します。
奈良の大仏こと、東大寺盧舎那仏像は14.7mですので、キリン1頭分くらい京都の大仏が大きいことになります。
でも今、京都に行ってもその大仏を観ることはできません。
実は、この大仏さま。大仏なのにとってもアンラッキーな仏さまなんです。
今回はこの不運な大仏さまと、そのゆかりの地を巡るお話を2回に分けてご紹介します。
歴史のお話ですが、なるべく分かりやすく書いたつもりなので、ぜひ、最後までお付き合いください♪
歴史を少しでも頭に入れておくと、なんの変哲もないお寺(超失礼。ごめんなさい)や景色が違って見えてくるものですよ。
それと今回のお話に関連するお寺は観光客があまり訪れない穴場スポットなので、今流行りのずらし旅にオススメですよ。
【アンラッキーその1】我輩は大仏である、名前はまだない
このアンラッキー大仏さま。
アンラッキーな事に、正式なお名前がありません。
そんな訳で、この大仏さまを呼ぶときは、『京の大仏』とお呼びするようです。
正式な名前がないのには、もしかしたら、これからお話しするアンラッキーな出来事たちが関係しているかもしれません!!
では、早速そのアンラッキーぶりを紹介していきましょう。
【アンラッキーその2】出来てわずか一年で倒壊
この大仏さまは、もともと焼き討ちで焼損した東大寺大仏(今のは再建したもの)に代わるものとして、豊臣秀吉が造立した大仏さまなんです。
建てる場所を巡っても、途中で計画変更したりとやいやいあって、作るぞー!!と言ってからすでに5年。
制作期間を短くするために、銅製の予定を木造に変更し、わずか4年で仕上げました。
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] 奈良の大仏さまは準備からおよそ7年かかって完成したニャ [/chat]
しかしながら、その事がアンラッキーを呼んでしまうのです。
なんと、完成してからわずか1年で、慶長伏見地震が発生。
『京の大仏』は倒壊してしまいました。
[chat face=”blogicon.png” name=”まいこ” align=”left” border=”red” bg=”none”] ちなみに、この大仏に使われた釘は刀狩りで没収した武器を再利用したものだよ[/chat]
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] ある意味、サスティナブル!! [/chat]
【アンラッキーその3】豊臣秀吉になぜか怒られる
慶長伏見地震はマグニチュード7.1と推定される大地震です。
これは、2016年に起きた熊本地震と同程度。
伏見城天守や東寺、天龍寺も倒壊したと言われています。
そんなお城も壊れるほどの大地震で壊れてしまって、ただでさえかわいそうなのに、豊臣秀吉はこの大仏さまに、「自らの身をも守れないのか」と理不尽な怒りをぶつけちゃうのでした。
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] これは、バチが当たるニャ… [/chat]
[chat face=”blogicon.png” name=”まいこ” align=”left” border=”red” bg=”none”] 違ぇねぇ[/chat]
そうなんです。
その後、秀吉はバチが当たったのか病に伏せてしまいます。
[box02 title=”ちょっと脱線:善光寺如来の祟り!?”]
大仏の倒壊後、秀吉は夢でお告げを見ます。
それは、山梨の甲斐善光寺にあった善光寺如来(善光寺式阿弥陀三尊)を大仏の代わりに本尊として迎えるというものでした。
秀吉は、早速行動に出ます。
ところが、如来さまが到着した次の年。なぜか秀吉は病気にかかってしまいます。
そのため、善光寺如来の祟りと噂されるようになり、秀吉は同じ年に元のお寺に戻すのですが、1年後に秀吉は亡くなってしまったのです。
[/box02]
【アンラッキーその4】アンラッキー大仏2世も火事で焼失
秀吉の死後もアンラッキー大仏のアンラッキーは続きます。
今度は、秀吉の息子・秀頼が再建を試みます。
が、鋳造中に流し込んだ銅が溶け出して火事が発生。
アンラッキー大仏2世は、完成前に焼失してしまいました。
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] え〜今度はちゃんと銅で作ったのに… [/chat]
しかも今度は、初代大仏が壊れた時でさえ、無事だった大仏殿も焼けてなくなってしまったのです。
【アンラッキー番外】アンラッキーはむしろ豊臣家?
もはや、豊臣家とアンラッキー大仏の「絶対建ててやる!!」「もう絶対やだ!!」の攻防戦のような状態。
なぜ、ここまで豊臣家は大仏に固執するのか、という気もしますが、なんだか運命のような気もしますね。
というのも、再び豊臣家は仏像の再建を試みるのです。
そして、アンラッキー大仏3世は完成し、開眼供養の日を待つばかりとなります。
この時すでに、政権は徳川家に移っている状態。
家康の許可が出れば晴れて仏像が仏像となる日を迎えるのです。
ところが、すでに完成していた梵鐘(お寺の鐘)に「国家安康」「君臣豊楽」という文字が刻まれていることを知った家康は、激おこぷんぷん丸状態に(古い!!)
[chat face=”blogicon.png” name=”まいこ” align=”left” border=”red” bg=”none”] 徳川家康の家と康を分断して、豊臣を君主と言ってるようなもので、家康や徳川家を冒瀆してるって思ったみたい[/chat]
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] 梵鐘ってめっちゃ字書いてあるのにちゃんとチェックしてるんだニャ [/chat]
その事がきっかけでか、大坂の陣で豊臣家は滅亡してしまいました。
【アンラッキーその5】アンラッキー大仏3世も地震で倒壊
豊臣家は滅亡したものの、仏像は大坂の陣の後も残されます。
これで、アンラッキー大仏の汚名返上♡
豊臣家もいないしもう安心♡
と思いきや、またもや地震で大破してしまいます。
【アンラッキーその6】もうやめたげて!!アンラッキー大仏4世に雷
5年後、今度は木造で再建します。
ところが、今度は大仏殿に雷が落ちて焼失。
むしろ、大仏さまがアンラッキーというよりは、場所に問題があるのかもの?って気もしますね。
華麗なる転身!! 実はあなたは大仏さまを見たことあるかも!?
実は、アンラッキー大仏3世。
その後、華麗なる転身を遂げています。
今では京都には大仏はありませんのでそのお姿を観ることはできませんが、もしかしたらあなたはアンラッキー大仏3世を見たことがあるかもしれないんです!!
なんなら、持ってるかも!?
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] ちょっと言ってる意味が分からないニャ [/chat]
ダイブツ・プリズムパワー・メイクアップ!!
なんとアンラッキー大仏3世!! お金に変身したのです。
しかも、かの有名な寛永通宝!!
[chat face=”blogicon.png” name=”まいこ” align=”left” border=”red” bg=”none”] 地震で壊れた大仏さまをお金の原料にするなんてなんと大胆[/chat]
[chat face=”blogicon-cat5.png” name=“おはぎ” align=”left” border=”yellow” bg=”none”] ある意味、サスティナブル!! [/chat]
なんだか、そう考えるとありがたいですね。
そうして、お金に変身したことでアンラッキー大仏のアンラッキーは終わりを迎えたのでした。
めでたし。めでたし。
いかがでしたか?
今回は、豊臣秀吉に翻弄された『京の大仏』さまのお話でした。
次回はこのアンラッキーな大仏さまに関連するお寺を回るルートをご紹介しますね。
お楽しみに♪
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