【伏線争奪戦】ゴールデンカムイ『最後の晩餐』に隠された謎|裏切り者ユダの席はどこ?

アニメやドラマでも話題になった、ゴールデンカムイの“最後の晩餐”構図。
ただの再現と思いきや──その一枚には、聖書をベースにした伏線が密かに仕込まれていた。
誰が裏切り者ユダなのか?
キリストの席に座っているのは誰か?
ファンの間でも注目を集めたこの問いに、宗教画好きかつ金カムファンの視点から、真剣に、偏愛を込めて考察してみたい。(※ネタバレ注意)
ちなみに──
配役を当てはめた“まい版・最後の晩餐図”をX(旧Twitter)で投稿したところ、
いいね 4,211、RP 628、インプレッション 23.4万
……という、思わぬバズに発展🧠💥✨
ただし初稿は「トマス → トマソ」と書いてしまい、
さらに「白石を“マグダラのマリア”とだけ書いたら原作のマリア説に物言いが入る」事件も発生──
その後、しれっと再アップしました。
そしてこの記事は──
あのX投稿からさらにパワーアップして、全キャラ対応の超大作です!
“伏線と配役”を、順を追って丁寧に読み解いていくことにする。
そもそも「最後の晩餐」って何?
金カムファンの一人として、ゴールデンカムイのこういう“唸らせる伏線”に弱い。
登場人物の背景にリアルな歴史や文化が重なるからこそ、何気ない構図にも深みがある。
そんな視点から、今回はあのシーンに迫る。

では、そもそも「最後の晩餐」とは何か?
「最後の晩餐」は、キリスト教の聖書で語られているとある場面を描いた作品で、レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵がもっとも有名だ。
野田サトル先生が描いた金カム版パロディもこの絵が元になっている。
センターのイエス・キリストが食事の際に「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と自分の弟子たち・十二使徒に予言している場面。
イエスはこの後、予言通り弟子の1人に裏切られ、十字架に磔にされた為、実質「最後の晩餐」となった。
では、テーブルの上に乗っている物にご注目。
パンとワインだ。
新約聖書において、パンとワインはキリストの肉と血を象徴するもの。
これらを食べることで、弟子たちはイエス・キリストと一体となる。
すなわち新しい契約の象徴なのだ。
【金カム考察】“最後の晩餐”はただの再現じゃない
金カム版「最後の晩餐」が登場するのは、漫画ゴールデンカムイ9巻81話「隠滅」。

江渡貝くん宅で杉元一行は土方陣営と邂逅。一触即発の事態に。
家永が食事の席での話し合いを提案し、郷土料理を振る舞う様子が「最後の晩餐」のパロディとして描かれている。
ただ構図を真似ただけだと思ったら大間違い。
31巻まである本作の9巻目にして、大いなるネタバレ、あるいは今後の展開を予想させる伏線が隠されている。
では最初の伏線回収。
先ほど、パンとワインを食べることは、新しい契約の象徴だと言ったのを覚えてるだろうか。杉元の独立勢力と土方一派は、絵の中で共に食事をしている。すなわち手を結んだという事を表している。
つまり、「最後の晩餐」のこの絵、そのものが伏線だったという訳だ。
誰がどの弟子?金カムキャラの“配役”から読む伏線
では、ここからは本格的な伏線争奪戦と行こう!
金カム版「最後の晩餐」に隠された伏線をダ・ヴィンチ版を元に紐解いていく。
漫画の場面は著作権に抵触するため、ダ・ヴィンチ版にキリストの弟子と金カムキャラの名前を書き込んだ。

イエス・キリスト=アシㇼパ

キリストとは、「メシア=救世主」という意味。
ネタバレ注意
「のっぺらぼう=アシリパの父・ウィルク」は網走監獄で杉元にアシリパを「アイヌを導く存在」、つまりアイヌを救う存在として育てたと言った。
“最後の晩餐”の登場する「隠滅」時点では、のっぺらぼうがアチャなのか?どうして金塊を奪った?という状況だったから、結構な伏線。
最後までマンガを読んだなら、実際にアシリパが何をし、アイヌにとってどんな存在になったかはご存知の通りだ。
キリストが「他者の罪を背負う」のに対して、アシㇼパは「過去(父の行動)を理解した上で、それに乗らずに新しいルールをつくる、まさにウィルクがつけた”未来”という名前に相応しい未来を開く“救済”を行ったと言える。
キリスト(イエス) | アシㇼパ |
---|---|
「メシア=救い主」 | アイヌの未来を導く者 |
民衆を導く存在/預言者 | ウィルクに「導く者として育てられた」 |
最後の晩餐の主役 | 晩餐パロディの中央=主人公のひとり |
民の罪を背負い、十字架に | 父の思想と民族の過去を背負い、未来を選ぶ |
誰かの手ではなく“自らの選び”で受難を引き受ける | 「殺さない」「奪わない」という選択を貫く |
また、これは深読みになるが、“晩餐”が描かれているというのも興味深い。
ゴールデンカムイにおいて、食文化はかなり注目度が高いファクターのひとつだろう。
キリストの最後の晩餐=「自らの死を語る場」だが、アシㇼパにとっての晩餐=“食”は、ヒンナ=「どう命を扱うか」、チタタプ=「どう関係性を作るか」、という食文化や狩猟の哲学が顕れている。
それが、「不殺の誓い」にも繋がる気がする。
アシㇼパの不殺は、「慈悲」とか「善人」じゃなくて、“命を知ってるからこそ選ぶ行為”=メシアの決断じゃない?
そして、それが「晩餐」の場面で強調されるの、ほんと…エモの極み。
他のキャラが“狩る者”“奪う者”“裏切る者”として座ってる中で、アシㇼパだけが、「命の循環をわかっている者」として中央にいる。
ペテロ=杉元佐一

ペテロはイエスの一番弟子の一人だ。
アシㇼパにとっても、杉元は一番の相棒。
ペテロは漁をしている時に、杉元はヒグマと戦ってる時にアシリパと出会ったところも似ている。そして感情的な一面があるところも。
この絵で注目すべきは手元。
ペテロはナイフ、杉元はお箸を持ってる。
そして2人の持つカトラリーの向いてる先は──というと、絵の左端にいるバルトロマイだ。彼は皮剥ぎの刑で殉教したと言われる皮革事業者の守護聖人。マンガでは江渡貝くんに皮を剥がれたチーム剥製の一人である。
ペテロ | 杉元佐一 |
---|---|
イエスの一番弟子 | アシㇼパの相棒 |
漁をしている時に出会う | ヒグマと戦っている時に出会う |
感情的な人物 | 感情が表に出やすい |
ナイフを持っている(絵の中で) | 箸を持っている(同位置) |
ナイフの先=バルトロマイに向けられている | 箸の先=江渡貝くんの犠牲者(剥製)に向けられている |
ネタバレ注意
ペトロはイエス・キリストを裏切り、杉元は鶴見中尉にアシリパを確保して暗号が解けたら二百円くれといった。(14巻139話「樺太へ」より)
マタイ=尾形百之助

マタイは、罪人であり嫌われ者だった。そして、尾形も然り。
それに、マタイはイエスがメシアであることを証明しようとしたりと、色々と考え込むタイプだったような気がしてて、そういうところも色々哲学的な尾形と被る。
マタイ | 尾形百之助 |
---|---|
元・罪人(徴税人) | 殺人者・裏切り者・暗殺者 |
社会の周縁にいた | “兵士”でありながら“思想の漂流者” |
イエスを観察し、記録する者 | 杉元・アシㇼパらを冷静に“見ていた”存在 |
思想的・分析的 | 哲学的で、人の本質を言葉にする |
そして一見、尾形に関する今後の展開を予想される伏線はないように見えるが、実はここには野田サトル先生からの大事な大事な伏線が隠されている。
ネタバレ注意
尾形は自分が愛された人間なのかを知りたくて、おっ母やお父っつぁま、唯一愛してくれた弟・花沢勇作まで手にかけてしまう。
そして、彼は最終巻310話「祝福」で、自分が抱いていた”罪悪感”に気付かされ、混乱し、今までの自分がしてきた愛の証明が無駄だったと知る。
では、最後に勇作の亡霊から「兄さまは祝福されて生まれた」と言われたのは、尾形の混乱した思考による妄想だったのだろうか?
その答えは、この「最後の晩餐」の絵に描かれていると私は思う。
マタイは罪人であったが、イエスに声をかけられ選ばれた弟子となることで“祝福の物語”の主人公になった。
そして、金カム版「最後の晩餐」で、尾形はマタイとして描かれている。
つまりこれは、野田サトル先生によるメッセージ。
「尾形は”マタイ”。だから、必ず祝福される。」
これは、野田先生の「愛」です。
尾形ぁ〜、よかったな。野田先生からも愛されてたよ。
ヨハネorマグダラのマリア=白石由竹

白石はダ・ヴィンチの絵の絵でいうところの、ヨハネあるいはマグダラのマリアとされる人物の位置にいる。じゃあ、まずこの2人を比べてみよう。
ヨハネ(使徒ヨハネ)
- イエスの“最愛の弟子”とされる
- 若くて中性的に描かれることが多い(レオナルド絵では長髪・優しい顔)
- イエスにとても近く、最後まで離れずにいた人物
マグダラのマリア
- イエスに癒され、信仰を捧げた女性
- 十字架の場にも、復活の場面にも立ち会っている
- 「裏切り者ではない」「でも確実に深い愛がある」という存在
男女の差はあるものの、ヨハネもマリアも割と似たようキャラと言えるだろう。
白石は杉元やアシㇼパに寄り添い続け、「道化」「調停者」「脱線者」という、固定役割に属さない存在。いわば「物語の性質をずらす者」として、この2人とも象徴的立ち位置が似ている。
白石は、裏切らないし、主役でもないし、聖者でもない。
でも不幸になる未来が見えなさすぎて、「この人がいることで、全員が救われる」って空気を持ってる。
つまり「祝福が明示されないキャラ」=受け手の偏愛が“祝福の定義”を決めるとも言える。
これ、尾形と真逆。
尾形は「祝福されたいのに気づけなかった」
白石は「自覚のない祝福そのもの」
ネタバレ注意
しかしながら、ヨハネには、決定的に白石な共通点があるので、白石はヨハネ寄りと判断した。それは、二人とも裏切らず、死なず、最後は島に行ったからだ。といってもヨハネは島流しだが。
ヨハネは殉教せず、“天寿を全うした唯一の使徒”とも言われている。
最終巻まで読んだ方思い出してほしい。
白石由竹はこの争奪戦の中で何度怪我した?函館での最終決戦の時だって、他の者たちが散っていく中、ヒグマにちょっと齧られただけだった。
野田先生は、白石に“救済される側”じゃなく、“救済を“見届ける者”という役割を与えた。そんな気がするな。
ヨハネ | 白石由竹 |
---|---|
イエスに最も愛された弟子 | 杉元&アシㇼパに最も信頼されたお調子者 |
最後まで裏切らなかった | 同じく裏切らなかった |
他の弟子が逃げる中、十字架に立ち会った | 他が散っても再集合の要だった |
晩年、島に渡る(パトモス島) | 白石島の王になって国を治めるw |
黙示録=世界の“終わり”を書く | 金塊争奪戦の“後日譚”をその身で見届ける |
裏切り者ユダは誰?「最後の晩餐」最大の謎に迫る

で、ここからが最大の伏線。
イエスのいう裏切り者とは誰?
イエスは裏切り者は「わたしがパン切れをワインに浸して与える者」と言った。絵を見るとイエスの手が1つのパンを掴もうとしている。そして、そのパンに伸びる手がもうひとつ…。
ネタバレ注意
その手の持ち主こそ、ユダ。──
そして金カム世界では、それがキロランケである。
金カムではキロランケが裏切り者、という訳だ。
野田サトル先生、30巻中まさかの9巻目で知的にネタバレするとか大胆すぎません!?。
ユダはイエスを裏切るが、アシㇼパというよりはウィルクに対しての裏切りだろう。
ユダはキリストの教えと現実とのギャップに苦しみ、失望。キロちゃんは、ウィルクが変わってしまったと失望していた。
ユダは「最後の晩餐」の後、結局イエスを裏切ってローマ軍に銀貨30枚(奴隷1人分)で売ってしまう。そして絵の中では、ユダの手元に“袋のようなもの”──おそらく報酬の銀貨が、すでにある。
もう売っちゃってたかー。
そして、キロランケは、厳密にはアシㇼパを売るわけではないが、パルチザンを率いるソフィアと合流して、北海道のアイヌが集めた金を活動に使おうとしていた。
要素 | ユダ | キロランケ |
---|---|---|
所属 | 十二使徒(弟子) | ウィルクの同志・理想を共にした者 |
信じたもの | キリストの教え(理想) | ウィルクの革命思想 |
裏切りの動機 | 教えと現実のギャップへの失望 | ウィルクが変わってしまったことへの失望 |
裏切りの相手 | キリスト本人 | ウィルク(=理想の象徴) |
受け取る報酬 | 銀貨30枚(奴隷1人分) | アイヌの金塊=運動の“燃料”として奪取 |
“売る”相手 | ローマ軍 | ソフィア+パルチザン勢力 |
結末 | 自責の念で自死(伝承) | 信念を貫き死亡(鯉登父との激戦) |
イエスとの関係 | 愛し、信じていた | ウィルクを“兄”のように敬愛していた |
土方一派に“最後の晩餐”は再現されている?キャラ構図で読み解く
フィリポ=家永カノ

フィリポは、明確な記載はないものの食料を運んでいる様子が描かれる事があり、食料係のイメージ。家永もこのシーンでは料理を振る舞っている。
フィリポの名称の元となっているフィリッポスは「馬を愛する者」という意味があるが、この場面で家永は、北海道・空知地方の郷土料理「なんこ鍋」(馬のモツ煮)を作っているというちょっとブラックなジョークも。
いや?家永は医食同源信者だから、愛するが故に食べる。彼?彼女?の信念そのままの行為とも言える。
フィリポ | 家永カノ |
---|---|
食料を運ぶ/給仕的存在として描かれる | 晩餐シーンで“料理係”として登場 |
名の由来=「馬を愛する者」 | 作っているのは“馬肉のモツ煮”(なんこ鍋) |
新約聖書では目立たないが、確実に参加者 | 作品全体でも謎めいた存在だが“場”の構成に不可欠 |
トマス=牛山辰馬

さて、ここにきて、正直私の中ではトマスと牛山の共通点を見出せなかった。
トマスは疑って疑って、でも最後に信じる者=“最も人間くさい弟子”だ。
牛山はそこまで疑り深いタイプではないように思う。初めてあった杉元のこともすぐに気に入って食事に誘うくらいだ。どちらかというと、直感に従うタイプじゃないかと思う。
今後、見つかったら報告する!
シモン=土方歳三&タダイ=永倉新八

タダイは、十二使徒のひとりだが、超影薄い。
数少ないセリフから見ても、わ〜永倉っぽい!って感じでもない。
だが、ここは実は変化球だ。カップリングである。
シモンとタダイは聖書の中では、直接のエピソードや会話はないが、十二使徒においてタダイとシモンは“ペア扱い”で出てくることが非常に多い。
エピがないのに「熱心党のシモン」+「タダイ」=いつもセットで登場する“謎コンビ”なのだ。
土方歳三と永倉新八も、バラガキ、ガムシンと言い合う仲で、最後まで永倉は土方に寄り添っていた。
土方(理想に生きて散った者)× 永倉(時代を超えて語った者)は、シモンとタダイに近いものがある。
あと余談だが、シモンとタダイのビジュアルが、土方と永倉では完全に逆なのがウケる。
シモン(熱心党) | 土方歳三 |
---|---|
政治的過激派・反ローマ体制 | 革命志士・幕末の武装抵抗者 |
理想に燃え、突き進む | 新選組を率い、明治政府に抗う |
鋭く、過激で、覚悟がある | 妥協せず、最後まで戦い抜く |
タダイ(ユダ) | 永倉新八 |
---|---|
発言は少ないが、常に寄り添っていた | 革命の熱とは一線を引きつつ、同行し見届けた |
なぜ主は世に現れぬのかと問う | 武士の理想が変わる中で、現実を見つめ続けた |
“正義”を叫ばず、沈黙で在った | 土方のように死なず、“記憶を語る者”になった |
ゴールデンカムイ最新ニュース集めましたッ!
ここでは、私が集めたゴールデンカムイ最新ニュースをご紹介する。
『ゴールデンカムイ 鶴見篤四郎の宿願』楽しみすぎる件
はぁもう金カム完結してしまって、悲しい。もっと推しの情報くれ…。とお嘆きの紳士淑女の皆さん。朗報です。新作でます!しかも鶴見中尉ネタ。
初の公式スピンオフ小説『ゴールデンカムイ 鶴見篤四郎の宿願』
日露戦争のさなか。戦場という巨大な密室では、正気を失うことこそ美徳とされる。鶴見中尉と第七師団の面々が出会った、驚くべき事件の数々とは……。(公式サイトより引用)
とのことなので、どうやら小話集のようだ。

しかもアニメBlu-ray同梱版は、「稲妻強盗と蝮のお銀」(11巻第102話稲妻強盗と蝮のお銀)と「シマエナガ」(23巻第228話シマエナガ)のアニメが同時収録。
どちらも放送されてないお話だ!
発売は2025年10月17日(金)予定だが、完全予約限定生産。つまり予約しないと買えないやつ!!2025年8月18日(月)予約締切なので、書い忘れのなき様!
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その他、谷垣源次郎の出身地の秘密についての記事もぜひ読んでって!

あくまで私の個人的な解釈による伏線回収だが、
たった一コマの絵の中に、こんなに意味が含まれているなんて──本当にすごい。
ストーリーを追っているときは、それ自体が面白すぎて伏線に気づけなかったとしても、
後から読み返したときに「そういうことか!!」となって何度も楽しめる。
それが、ゴールデンカムイという作品の大きな魅力のひとつだ。
最近では、金カム聖地巡礼もしているので、
またブログで紹介していくつもりだ。
これを機に、当ブログにまた立ち寄ってもらえたらうれしい。
今日の偏愛航海、いかがでしたか?
記事が「なるほど!」「ほーほー!」と思ってもらえたら、
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