【伏線争奪戦】ゴールデンカムイ「最後の晩餐」に隠された意味を考える
実写化され、ますます盛り上がりを見せるゴールデンカムイ。
ファンの一人としてうれしい限りだ。
漫画版を読まれた方ならお分かりいただけるだろうが、登場人物にモデルとなった存在がいたり歴史や文化に裏打ちされ描かれた作品だ。そんな作品だからこそ、思わず「おぉ」と唸ってしまう伏線が隠されていることがある。
その最たるものが、ドラマでも再現された「最後の晩餐」。今回はそこに隠された伏線を私の独断と偏見で回収していこう。(ネタバレ注意)
そもそも「最後の晩餐」とは?
まず。金カム版「最後の晩餐」が登場するのは、漫画版ゴールデンカムイ(以降、金カムと略)9巻81話「隠滅」。
江渡貝くん宅で杉元一行は土方陣営と邂逅。一触即発の事態に。そこへ家永が食事の席での話し合いを提案し郷土料理を振る舞う場面だ。
メンバーが長いテーブルに並んで食事を囲んでいるシーンなので、「最後の晩餐」を知らない人でもさほど違和感を持たないだろうし、少し知ってるくらいの人は構図をパロったくらいにしか思わないかもしれない。ただ、ここには今後の展開を予想させる伏線が隠されている。
では、そもそも「最後の晩餐」とは何か?という話をしよう。
「最後の晩餐」は、キリスト教の聖書で語られているとある場面を描いた作品で、レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵がもっとも有名だ。
センターにいるイエス・キリストが「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と自分の弟子たち・12使徒に予言している場面。
イエス・キリストはこの後、予言通り弟子の1人に裏切られ、ローマ軍に捕まり十字架に磔にされた。結果、この時が「最後の晩餐」となり、絵のタイトルになっている。
ゴールデンカムイ版「最後の晩餐」に隠された伏線
では、金カム版「最後の晩餐」に隠された伏線をダヴィンチ版を元に紐解いていこう。
まずは、テーブルの上にご注目。
パンとワインが乗っている。
新約聖書において、パンとワインはキリストの肉と血を象徴するとされ、これらを食べることで、弟子たちはイエス・キリストと一体となる。新しい契約の象徴ともされている。
つまり、杉元の独立勢力と土方一派が共に食事をする表現で手を結んだという事を表している。
ペテロ=杉元佐一
ペテロはイエスの一番弟子の一人だ。
アシリパにとっても、杉元は一番の相棒。ペテロは漁をしている時に、杉元はヒグマと戦ってる時にアシリパと出会ったところも似ている。そして感情的な一面があるところも。
この絵で注目すべきは手元。
ペテロはナイフ、杉元はお箸を持ってる。そしてそのカトラリーの向いてる先は?というと、絵の左端にいるバルトロマイだ。彼は皮剥ぎの刑で殉教したと言われる皮革事業者の守護聖人。マンガでは江渡貝くんに皮を剥がれた剥製。
ネタバレ注意
ペトロはイエス・キリストを裏切り、杉元は鶴見中尉にアシリパを確保して暗号が解けたら二百円くれといった。
マタイ=尾形百之助
マタイは、罪人であり嫌われ者だった。そして、尾形も然り。
これはすごく個人的な感想なんだけど、マタイはイエスがメシアであることを証明しようとしたり、色々と考え込むタイプだったような気がしてて、そういうところも色々哲学的な尾形と被るところがあるなーなんて思ったりする。
フィリポ=家永カノ
フィリポは、明確な記載はないものの食料を運んでいる様子が描かれる事があり、食料係のイメージがあったりなかったり。「最後の晩餐」では、家永も料理を振る舞っている事から、この立ち位置が妥当といったところ。
フィリポの名称の元となっているフィリッポスは「馬を愛する者」という意味があるが、この場面で家永は、北海道・空知地方の郷土料理「なんこ鍋」(馬のモツ煮)を作っているというちょっとブラックなジョークが入ってる。
では、本題。裏切り者は誰?
で、ここからが最大の伏線。
イエスのいう裏切り者とは誰?
イエスは裏切り者は「わたしがパン切れをワインに浸して与える者」と言った。絵を見るとイエスの手が1つのパンを掴もうとしている。そして、そのパンに伸びる手がもうひとつ…。
ネタバレ注意
そう、その手の持ち主はユダ。金カムではキロランケが裏切り者、という訳だ。
野田サトル先生、30巻中まさかの9巻目で知的にちょっとネタバレしてた。アシリパというよりはウィルクに対しての裏切りだろう。ユダはキリストの教えと現実とのギャップに苦しみ、失望。キロちゃんは、ウィルクが変わってしまったと失望していた。
ここで、ちょっとユダの話をすると。
ユダは「最後の晩餐」の後、結局イエスを裏切ってローマ軍に銀貨30枚(奴隷1人分)で売ってしまう。絵の中でユダはすでにお金握りしめちゃってるんだよね。もう売っちゃってたかー。
そして、アシリパの位置付けについて。
アシリパのいる位置、ここはキリストの場所。キリストとは、「メシア=救世主」という意味。「のっぺらぼう=アシリパの父・ウィルク」は網走監獄で杉元にアシリパを「アイヌを導く存在」、つまりアイヌを救う存在として育てたと言った。ここも一致してるよね。「最後の晩餐」の時点では、のっぺらぼうがアチャなのか?どうして金塊を奪った?という状況だったから、結構な伏線だよね。最後までマンガを読んだなら、実際にアシリパが何をし、アイヌにとってどんな存在になったかはご存知の通りだ。
あくまで私の個人的な解釈による伏線回収ではあるけれど、たった一コマの絵の中に、こんなに意味が含まれてるなんてすごくない?
ストーリーを追ってる時は、それ自体がおもしろいので伏線に気づかなかったとしても、後から読み返した時に「そういうことか!!」となって何度も楽しめる。最近では、金カム聖地もしているので、またブログで紹介したいと思う。
ちょうど今、「ゴールデンカムイと北海道を楽しもう!」キャンペーンで、北海道の各地でポスターラリーなどをやってるので、この機会に聖地巡礼してみて。
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では、みなさんいい旅を😆